@article{oai:chukyo-u.repo.nii.ac.jp:00008630, author = {森, 有礼 and Mori, Arinori}, journal = {国際英語学部紀要, Journal of College of World Englishes}, month = {Jan}, note = {Sandra CisnerosのThe House on Mango Street (1984;以下Mango Street略記)は、シカゴのバリオ(barrio)に暮らす12歳のチカーナの少女Esperanzaが語る、彼女の家族や友人達の寸描からなる連作短編小説である。物語はEsperanzaが家族と共にバリオの一角に越してきた時点から始まる。マンゴー通り(Mango street)に立つ新しい自宅のみすぼらしさに落胆する彼女は、それでもまもなく近隣の子供達と友達になる。このバリオでの一年余りの生活を通じて、彼女は精神的にも肉体的にも大きな成長を遂げると共に、父方の祖父と叔母Lupeの二人の死、そして性的に放埒な親友Sallyの裏切りが齎す性的暴力を経験する。その後、彼女がいつか「自分自身の家("A House of My Own")」を手に入れ、マンゴー通りから出てゆこうと考える場面でこの小説は終わる。本論は、Mango Streetに描かれたスペイン系アメリカ人共同体に通底する、特に女性に対する家父長制イデオロギーの圧力と母性的抑圧との共謀関係を指摘すると共に、Esperanzaの語りの過程をメランコリーから喪の行為への移行の実践と捉え、そこにこうした抑圧を潜り抜けて再構築される女性主体の様子を確認することを目的とする。具体的には、フロイト(Sigmund Freud)の"Mourning and Melancholia" (1917)に基づいて本作に登場するメランコリックな女性のモチーフを検証し、それが男性登場人物の持つ喪失の不安と関連していることを確認する。併せて女性が本作において要求されている性役割の恣意性についても言及すると共に、それらが単に物語の舞台であるバリオの共同体の男性側からのみならず、ヒスパニック系社会の母性的主体による束縛でもあることを、本作結末部のEsperanzaの独白の分析を通じて論証する。, 4, KJ00004858253, 論文, Research article}, title = {メランコリーから喪へ : The House on Mango Streetにおけるアイデンティティと母なる超自我}, volume = {9}, year = {2006}, yomi = {モリ, アリノリ} }